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日常という名の紛争−ソマリア(2002年)

アフリカの角と呼ばれるソマリアでは、1991年、当時のバーレ大統領が軍事クーデターにより追放されて以来、氏族間で終わりの見えなえない内戦が続き、国家自体が崩壊していた。 しかし、そこで生きる人々は、明るく活力に満ちていた。

ソマリア国旗 K-50空港 BARAKAT銀行 屋外映画館 ビンラディンポスター ブラックホークの破片 サボテンに埋もれるブラックホーク 町中 破壊されたカトリック教会 破壊された町 外壁が銃弾で崩れ落ちたビル ボロボロの車 避難民キャンプ 避難民 避難民キャンプ内の家 子どもを抱えた避難民 対空砲の銃弾 パトロールに向かう民兵 車に乗り込む少年たち 自動小銃を手にポーズを取る少年たち 旧フランス大使館近辺 笑顔を向ける民兵 対空砲を操る少年 夕焼けの町中 海岸 スタジアム 街頭の軽油売り場 バカラマーケット入り口 荷物が満載されたバス 乗り合いタクシーのドライバーと乗客 マーケットで芋を売る女性 町中のギャラリー 物が溢れる市場 生鮮物売り場 マーケットの女性 お菓子屋さん 映画館の受付 ユニフォームがバラバラなサッカーナショナルチーム 笑顔の子どもたち モガディシュの夜明け
【撮影】 2002年/ソマリア・モガディシュ

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終わらない負の連鎖−ソマリア(2010年)

9年ぶりに訪問した首都モガディシュ。
そこにあったのは「日常の中の紛争」ではなく、「紛争」だけだった。
以前宿泊したホテルは自爆テロで破壊され、以前は民間ボディーガードを雇えば市内を移動できたが、今回は常時防弾チョッキ着用の上、AU(アフリカ連合)軍として派遣されているウガンダ軍の装甲兵員輸送車でしか移動不可。
文字通り蜂巣になった住宅街からは完全に人の姿が消え、不気味な静寂に包まれた町に響くのは乾いた銃声だけだった。

数え切れないほどの銃痕が刻まれた最前線のビルに備え付けられていた機関銃。
スカイブルーの空、コバルト色のインド洋。モガディシュは1991年に内戦が始まるまで、東アフリカでも有数のリゾート地で多くの観光客でにぎわっていたという。しかし現在は、灌木に埋め尽くされた海岸線にAU軍兵士の宿舎が建ち並び、観光客の笑い声の代わりに銃声が常時鳴り響く、「崩壊国家ソマリア」を代表する町になってしまった。
内戦勃発前まで中国人ビジネスマンが暮らしていた家。1991年に内戦が勃発するまで、紅海の入り口に位置するソマリアは交易の要所としても栄え、様々な国のビジネスマンが暮らしていた。
AU軍により造られた新モガディシュ港への入港を待つ大型船。AU軍と避難民キャンプに物資補給を行う国連チャーター船だけでなく、民間船(機密事項のため船籍は教えてもらえなかった)も多数入港しており、アルシャバブの支配下にあったソマリア最大の市場である「バカラマーケット」へ物資が運ばれていた。
海賊から船を守るため、パトロールに出るAU軍モーターボート。「正直なところ、海賊が本格的に狙ってきたら、とても対応できる戦力じゃないよ。でも、事前に警戒警報くらいは出せるだろうからね」。AU軍広報官はそう語った。
貴重な船に傷を付けないよう、インド洋に面した遠浅の海にトラックは乗り入れる。
海賊の活動が活発な地域から外れているため幸い大規模な襲撃はまだない。しかし、AU軍の所持するわずか二艘のモーターボートでは、広報官の言葉通り、応戦不可能だ。
AU軍とアルシャバブの激戦地にほど近い区域。20年を超える内戦により、数え切れない銃痕と重火器により穿たれた穴が、住人を失った家々に残されていた。
真っ青な空の下、聞こえるのは移動するAU軍兵士が発する押し殺した声と数秒ごとに響き渡る乾いた銃声。そこに生活を営む人々の気配はない。
車列をくみフロントラインに移動するAU軍。アルシャバブによる自爆テロやスナイパーの存在により、9年前と違い、ボディーガードをつけたとしても一般車両での移動は自殺行為にでしかない。
照りつける太陽によりサウナと化した装甲兵員輸送車内。体感温度は40度を優に超え、こまめに水分をとらないとすぐに脱水症状をおこす。
移動中の装甲兵員輸送車の防弾ガラス越しに見える、白波を立てるインド洋。
丈夫ハッチに備え付けられた機関銃を手に、周囲を警戒する兵士。アルシャバブは住民のふりをしたアルシャバブが攻撃してくることもあるため、移動中は常に気が抜けない。
荒れ果てた、かつての高級住宅街。兵士のブーツが立てる砂の音と散発的に空気を裂く銃声以外の音は聞こえない。生物の気配がまったくしない町は、不気味だった。(フロントラインにて)
前線指揮官による戦況報告を受ける、UNOSOM(国連ソマリア活動)最高指揮官のウガンダ軍ジェネラル(左)。(フロントラインにて)
AU軍を担うウガンダ軍には、多数の女性兵士がいた。彼女たちも重さ20キロの防弾チョッキを着け、前線に立つ。(フロントラインにて)
携帯電話の普及は戦場にも変化を与えた。ソマリアにも携帯電話会社があり、現地でSIMカードを買うと通話が可能。つかの間の休息、兵士たちはお互いの姿をカメラに納め母国の家族や友人にSMSを打つ。(フロントラインにて)
アルシャバブが乗り捨てた「テクニカル」。後部が荷台になっているピックアップトラックに、対空砲や対戦車砲・機関銃などを取り付けた車両は「テクニカル」とよばれ、戦車を持たない武装組織の戦闘車両として重宝されている。(フロントラインにて)
フロントラインになっていたビルの屋上から望むインド洋。鳴り響く銃声と青い空と青い海。一瞬異世界に迷い込んだ気がした。(フロントラインにて)
木の生い茂るAU軍・アルシャバブの勢力境界線と、その彼方に見えるソマリア最大の市場「バカラマーケット」。(フロントラインにて)
かつて自爆テロを受け粉々に破壊されたゲートを守るAU軍兵士。(フロントラインにて)
車による自爆テロを防ぐため、前線にいくつかあるAU軍の拠点では周囲の草木が刈り取られ、高速で接近できないよう道にはバリケードが築かれている。(フロントラインにて)
警備兵が休息時に使用していたベッド。ピンクの壁とハートのベッドフレームが、平和だった頃、この家に笑顔と愛があふれていた事を想像させる。(フロントラインにて)
銃弾を防ぐため積み上げられた土嚢。一見原始的だが、コスト・実用性・防弾効果。そのすべてで前線では非常に重要なアイテム。(フロントラインにて)
無線機から「アルシャバブ接近」を告げる報告が入り、臨戦態勢を取るAU軍兵士。(フロントラインにて)
戦闘で死亡したアルシャバブ兵士。あばら骨が浮き上がる痩せこけた体から流れ出した血は、すり切れたズボンをどす黒く染め、すでに固まり始めていた。(フロントラインにて)
重要拠点のこのビルは常に臨戦状態にあるため、兵士達は三交代で常時警戒にあたっていた。(フロントラインにて)
夕暮れの中、周囲の警戒をするAU軍兵士。その視線の先には美しいインド洋に沈みゆく夕日が映る。(フロントラインにて)
AU軍・野戦病院は、戦闘に巻き込まれた負傷者を始め疾病・妊娠など医師の助けが必要な地元の人々を受け入れていた。しかし、一度AU軍の診察を受けた者はアルシャバブにより「敵対者」と見なされるため、二度とAU軍の支配地域から出られない。(AU軍・野戦病院にて)
厳しいソマリアの現状を語る、戦闘で足を負傷した女性。(AU軍・野戦病院にて)
呪術師による不適切な治療で悪化した患部を見せる女性。アルシャバブは西洋医学を行う医者も敵とし見なし殺害したため、モガディシュから十分な治療を行える医師と病院は消えた。(AU軍・野戦病院にて)
流れ弾により両親を失い、自身も足を負傷した4歳の少年。ハエや蚊による感染症を防ぐため蚊帳の中で生活している。(AU軍・野戦病院にて)
戦闘に巻き込まれ負傷した娘を看病する父。四六時中戦闘が発生するため、人々の生活は常に危険と隣り合わせだ。(AU軍・野戦病院にて)
アルシャバブとの戦闘で負傷した暫定政府軍兵士。私が取材していて感じたのは、若者が多いアルシャバブに対し暫定政府軍は年配者が多かった。(AU軍・野戦病院にて)
15歳で第二婦人として子どもを身ごもった少女と、食事用のハエよけの中で眠る彼女の子ども。出産間際、夫の怒りを買った彼女は家を追い出され、行く当てなく彷徨っている所をAU軍に保護された。(AU軍・野戦病院にて)
AU軍野戦病院で生まれた赤ちゃん。この子が物心が付いた時に目にするのは、どんな世界なのだろう。(AU軍・野戦病院にて)
内戦が始まった1991年当時、政府軍兵士だった彼らの時間はそこで止まった。避難民キャンプを警備するAU軍兵士に頼み込み、出入り口の警護を始めた。しかし彼らの立つ場所は本来の出入り口ではなく、彼らの持つ銃に銃弾は入っていない。(避難民キャンプにて)
AU軍の支配地域に作られた避難民キャンプの責任者たち。リーダーは、「青地に白い星」のソマリア国旗を模したたすきを掛けている男性。(避難民キャンプにて)
避難民キャンプで暮らす少年たち。暴力と恐怖に支配された日常から逃げ出すことに成功した彼らは、どこにでもいるシャイだけど素直になれない10代半ばの少年だった。(避難民キャンプにて)
避難民が暮らす家。ゴミ屋敷のようだが、ここはAU軍が保護する中で最も安全で裕福なキャンプ。(避難民キャンプにて)
避難民キャンプでの生活苦を訴える避難民。ここにいる限り、彼女たちは飢えや戦闘におびえる必要はない。しかし、将来の可能性も自由も手に入れられない。(避難民キャンプにて)
レンズを向けると顔を隠し逃げ回っていた少女たちだが、ビューファインダーで撮影画像を確認できると知ると、私の袖を引き撮影をせがんできた。鏡のない生活を送る年頃の彼女たち。ビューファインダーに映る自分の姿は、どう映ったのだろうか。(避難民キャンプにて)
避難民キャンプの入り口に配置されていたAU軍戦車。海岸沿いからの攻撃に備え、砲塔は白波を立てるインド洋に向けられていた。
AU軍司令部の敷地と一般市街との境界線。自爆テロを防ぐためヘスコ防壁(注)で囲まれ厳重に隔離されている。しかし週に二度、それぞれ半日間だけ鉄条網が取り除かれ、隣接する地域に住む人々はAU軍医療班の診察を受けるため、AU軍の敷地にある診療所に入ることができる。(注)主に紛争地で使われている、米ヘスコ社製の巨大な土嚢。
ほぼすべてのインフラが壊滅状態の町に住む人々にとって、唯一無二の医療を受けられるチャンス。そのため多いときは数百人が殺到するが、時間に限りがあるため残念ながら全員が診察を受けられるわけではない。
AU軍敷地内に入るには厳重なボディーチェックが行われるため、炎天下の中、人々は長時間待つことになる。しかし、だれもが辛抱強く自分の順番が来るまで静かに耐えていた。
暫定政府警察官のボディチェックは、自爆テロを防ぐために金属探知器も使用し徹底的に行われる。妊娠している女性に対しては、その大きくなったお腹が本物か否か、金属探知器での確認後女性警察官が手で触って確認していた。
担架を始め何も医療器具がないため、すべて人力で行われる。この年老いた男性は自力で歩くこともままならず、男たちに抱えられたままボディーチェックを受け、AU軍診療所に運び込まれていった。

廃墟と化した住宅の庭に咲くブーゲンビリア。20年前、この家に住んでいた人たちは、何を思いこの美しい赤い花を見ていたのだろう。
【撮影】 2010年/ソマリア・モガディシュ

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