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WAR DANCE

映画「WAR DANCE」パンフレット寄稿

「世界の人たちの多くは、これがアフリカの日常だと思ってる。でも本当は違うって言いたい」。

序盤、ドミニクが語るこの言葉が胸に突き刺さった。なぜなら、その「アフリカの日常」を創り出しているのは、他ならぬ我々ジャーナリストだからだ。

2000年、初めてウガンダ北部を訪れた私の目に飛び込んできたのは、体に刃傷を負ったり片足を失ったりした、傷ついた多くの子どもたちだった。
そして誰にインタビューをしても、ドミニク・ローズ・ナンシーの壮絶な体験同様、筆舌に尽くしがたい出来事ばかりがその幼い口から、ぽつりぽつりと語られた。

――誘拐した子どもに兵士の訓練を受けさせた後、村へ連れ帰り、自らの手で両親を殺させる。

――子どもたちに連帯責任を与えることで相互監視させ、さらに逃亡者には死を、反抗的な者にはリンチを、子どもたち自身の手で与えさせる。

――最も激しい戦闘が予想される場所に、死に兵として子どもたちだけを送り込む。

その例を挙げればきりがないほど、1987年以来、ウガンダ北部を紛争地にしている反政府勢力・神の抵抗軍(LRA)の活動は非人間的で、私は怒りを覚えると同時に、想像を絶する体験をしてきた子どもたちに深い同情を覚えた。

世界第三位の湖水面積を持つビクトリア湖に面し、緑が溢れる国・ウガンダ共和国。
アフリカ大陸の中央部に位置する同国は、ほぼ日本の本州とおなじ国土面積を持ち、約2800万の人口を擁している。ビクトリアナイルが横断し原生林が未だ多く残る同国には、クイーンエリザベス国立公園、マーチンソンフォールズなどの有名観光スポットや、絶滅危惧種のマウンテンゴリラやチンパンジー、ライオンやゾウなどの野生動物も多く生息し、多くの観光客が訪れている。

だが、1907年に訪れた彼のチャーチルが「アフリカの真珠」と呼んだほど美しい同国も、1962年にイギリスから独立し、現ムセベニ政権成立までのわずか24年間に「アフリカで最も血塗られた大統領」と呼ばれるアミン大統領を始め、10人もの大統領が誕生しては消えている。

そしてその度に美しい緑の大地に夥しい血が流されてきた。そしてLRAも、その血の中から生まれてきたのだ。

LRAを語る上でもっとも重要なキーワードは、映画内で子どもたちの重要なアイデンティティーになっている「アチョリ族」だ。

アチョリの人々は非常に誇り高く、仲間を大切にする民族だといわれており、2000年にアチョリ族最大の町・グルでエボラ出血熱が発生した際、現地で取材中だった私もその顕著な例を目撃した。

他の北部の町では、エボラ出血熱が発生したとメディアが騒ぎ出すと、感染者が一人も発見されていないにも関わらず医者でさえ入院患者を投げ出して逃げたのに対し、アチョリ族は首都カンパラなど比較的安全な地域で暮らす老若男女が自らの命も省みずアウトブレイク真っ直中のグルに駆けつけ、不眠不休に近い状態でボランティアとして半年近くも活動していたのだ。

17世紀後半にウガンダ北部に定住したアチョリの人々は肉体的に恵まれた狩猟民だったため戦いに長けており、イギリスの植民地時代には軍人として重宝されたが、ウガンダが独立国家となった後も軍関係者が多いため軍事力はあっても政治力はなく、絶えず政敵からの迫害を受けていた。

そんな中、1985年にテト・オケロ陸軍司令官がアチョリ族初の大統領となる。

アチョリの人々にとって、待ちに待った瞬間だったが、現大統領のムセベニ氏率いる国民抵抗軍(NRA)のクーデターにより、わずか半年でその座を追われた。

破れたアチョリ軍は北部に逃れ、1986年8月、同様に北部を拠点とするランギ人と結び、ウガンダ人民民主軍(UPDA)を創設し武装闘争を開始した。そして時を同じくして、20年以上に亘るウガンダ北部の紛争要因となる聖霊運動(HSM)が生まれた。

HSMは、アチョリ族霊媒師のアリス・オウマという女性(当時30歳)が、「アチョリ族は自らの罪を償い、そして地上に楽園を創造せねばならない」という啓示を、イタリア軍人である「ラクウェナ」の魂から受けたことにより創設された。

その活動はリーダーであるアリスの呪術が基になっており、「世界中で嫌われているアチョリ族の血により、流血を止める」とのお告げを受けた際には、同胞のアチョリ族が最も多く暮らすグル地区を攻撃したり、戦闘に赴くに際に「純粋な心を持っていれば、銃弾をも止める効果を持つ油」を兵士に塗ったり、待ちかまえる政府軍に向かい、賛美歌を歌いながら十字型の陣形で突入したりと、すべてが荒唐無稽な組織だった。

ところが創設当初は、面白いように呪術に基づくアリスの作戦は当たる。

圧倒的に不利な戦闘において連勝を続けるHSMを見て、アチョリ族だけでなくムセベニ政権に不満を持つ人々が次々と加わり、やがてUPDAをも凌ぐ巨大な組織へと成長していった。

しかし1987年11月、政権奪還を狙った首都カンパラへの侵攻は、カンパラまで100キロの地点まで侵入するも東部の都市ジンジャにて大敗を喫し、アリスがケニアに逃亡したことによりHSMは終焉を迎えた。

その後もUPDAとNRAの戦いは続いたが、やがて疲弊したUPDAは和平への道を模索し始めた。

1987年からUPDAに参加し、内部で勢力を拡大していたアリスの従兄弟でもあるジョセフ・コニーはNRAとの和解をよしとせず、1991年UPDAから独立し自らの組織を「神の抵抗軍」と名付け、HSMの成功を踏まえ、「モーセの十戒」に基づく神政を掲げてウガンダ北部をベースに武装闘争を開始したのだ。

ところが、延々と続く戦乱の日々に嫌気がさしたアチョリ族の中には、平穏な生活を求めNRA側に付く者が出てきた。

それを知ったコニーは、「LRAに協力しないものはアチョリ族ではない」と宣言し、同胞の住む村を襲い略奪や残虐行為を働くとともに、兵力を補うため子どもの誘拐を行うようになった。その結果、最大時には400万人にのぼる人々が自らの家を捨て、パトンゴを含む国内避難民キャンプでの生活を余儀なくされてしまったのだ。

今年でウガンダ北部の取材は8年目になるが、初めて同地を訪れた2000年と現在とでは、取材に向かう時の感情が全く違う。

取材中に出会った元子ども兵士たちが、心から楽しそうに歌い踊る姿と、その曇りのない輝く瞳を見た瞬間から、「かわいそう…」という同情心だけで埋め尽くされていた私の心に、突然、「羨ましい」という感情が生まれたのだ。

もし、自分が同じ環境で生まれていたら――。

もし自分が目の前で家族を殺されたり、強制的に人殺しをさせられたりしたら――。

恐らく私は自ら命を絶つことを選び、ドミニクやローズ・ナンシーのように勇気と忍耐を持って前に進み続け、奇跡を起こすことなどできないだろう。

確かにパトンゴ小学校の子どもたちを始めウガンダ北部で暮らす人々は、いつ襲ってくるか分からない理不尽な暴力と共に生きている。しかし、そんな環境でさえ人間は奇跡を起こす心の強さと情熱を持つことができるのだ。その生きる姿勢は、様々なものが複雑に絡み合い混沌とした現代社会において、数少ない大切な希望ではないだろうか。

スクリーンの中、真剣な眼差しで音楽に取り組むパトンゴ小学校の子どもたちは、とてもかっこよく、私にとって新たなヒーローとヒロインが誕生した。

(*)残念ながらこの原稿を書いている現在(2008年10月5日)、2005年7月から続いていた和平交渉は決裂し、LRAは活動地域をウガンダ北部から隣国のコンゴ民主共和国、スーダン、中央アフリカ共和国の国境付近に移し、今度は異国の村を襲撃し子どもたちを誘拐している。

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