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Child Soldier

社会新報 '04年 6月16日号より(第2回)

リード

1986年以来反政府活動を続ける神の抵抗軍(以下LRA)の活動を読み解くキーワードは、「南北間の確執」にある。
「確かに今は『LRA=ウガンダ国民を苦しめる悪の組織』という図式が完全にできあがっている。でも仮に政府軍が今後LRAを殲滅したとしても、間違いなく第2、第3のLRAが現れるよ。この戦争の原因は、民族間の複雑で長い歴史にあるんだから…」
取材中に出会った北部出身のウガンダ人中年男性は、うんざりした表情でそう語った。

本文

アフリカ大陸のほぼ真ん中、淡水湖として世界第3位の広さを誇るビクトリア湖に面するウガンダは、日本の本州ほどの面積を持つ国だ。「年間平均気温20度・年間降水量1500〜1700ミリ」と、国土を東西に赤道が横切っているにも関わらず、千メートルを超える高地に位置するため、非常に環境に恵まれ、その緑の多さに、かのチャーチルは「緑の真珠」と呼んだという。

が、その言葉が当てはまるのは、首都のカンパラがある南部だけであり、LRAの脅威にさらされている北部は、「緑の真珠」の名からは遠くかけ離れ、地平線まで茶色い乾いた大地が広がっている。

1962年、イギリスから独立したウガンダは、七度にわたる政変(うち五度は軍事クーデター)を経験している。その原因には、もちろん植民地支配の弊害も含まれるが、主要因はアフリカにおける多民族国家の宿命とも言うべき、過去の歴史にある。

同国には30以上の民族が混在し生活しているが、その構成を大きく分けると、先に同地で生活していた西アフリカ方面から来た農耕民族の南部人と、その後、エチオピア方面から来た牧畜民族の北部人とに分けられる。そしてその両者は、イギリスがウガンダを植民地化する以前から、常に土地を巡った軋轢を抱えており、独立後もその影響により支配者の出身地が南部・北部と変わるたびに、相手民族を弾圧していたのだ。

1986 年、南部出身の現大統領であるムセベニ氏が政権を奪うと、北部の主要民族であるアチョリ族出身のアリス・ラクウェナ(当時28歳)は、翌1987年に「Holy Spirit Movement(聖なる魂の運動・以下HSM)」を創立し、軍事力による政権の奪取を試みた。

カリスマ性が強かったアリスは、すぐに北部の人々の心を掴み、一時は首都カンパラに80キロ近くまで迫ったが、結局ムセベニ率いる政府軍に破れ、彼女はケニアに逃亡した。そしてその後を継ぐように誕生したのが、アリスの心酔者だったジョゼフ・コニーをリーダーとする「Lord's Resistance Army(神の抵抗軍・以下LRA)」だったのだ。

当初は「我々は腐敗した政権を倒すために決起した農民革命であり、十字軍である」と声明を出し、アリスの後釜として北部人の支持を得ていたものの、時がたつにつれLRAは当初の方向性を見失い、戦力を維持するためだけに支持者である北部人の村を襲い、略奪・子どもの誘拐を始めた。

「民意を失えば失うほど、戦力の低下を防ぐため再び略奪・誘拐を繰り返し、さらに民意を失う…」。完全に悪循環に陥ったLRAの攻撃対象は、いつしか現政府から支持者であった北部人に変わっていった。

現在、本来は敵であるはずの政府軍に守られている北部人たちは、一様にLRAに対して強い嫌悪感を持っている。だが同様に、現政府に対する反抗心も依然として存在し、その結果、戦いの連鎖を断ち切るのは非常に困難な状況にあるのだ。

第三回(6月23日号)へ続く